ところ天

寒天はお使いになりますか?
子どもの頃、実家には木製の「ところ天つき」があり、毎年夏になると思い出したようにところ天を作っていた。
今でこそ粉寒天や糸寒天が出回っているが、私が子どもの頃は棒寒天しか見たことがなかった。それを水と一緒に鍋に入れてぐつぐつ煮立てて溶かし、流し缶に入れて冷やして固める。それをところ天つきの大きさに合わせて切り、ところ天つきに流し入れてぐぅ〜っと押し出すと、あの細長いところ天の出来上がりだ。

子どもの時はとにかくあのところ天つきがやりたくて仕方がなかった。
流し缶いっぱいに透明な(ほんの少しだけ濁っている)寒天がみっちりと収まっているのも、それをところ天つきの大きさに合わせて母が慎重に切り出しているのも、何かとても特別なイベントのようで心浮き立つものだった。
真夏の暑い台所で「ちょっとお鍋かき回しといて」と言われればせっせと手伝い、冷やしている間はまだかな?とソワソワ落ち着かず、やっとこ冷えれば、早く早くと母を急かして切り出してもらった寒天を割れないようにそぉ〜っとところ天つきに慎重に滑らして入れる。
クライマックスはもちろん最後のあのつき棒だ。先端のマス目のようになった面と、つき棒の面が並行になるように押し出せとずいぶんやかましく言われた。今でこそ大した力はいらないのだろうが、子どもの手には意外と難しい作業なのだ。不器用な私を見かねた父が「ほらこうやってやるんだよ」とするるる〜っと押し出して見せてくれるが、私は自分が押し出すチャンスを一回使われてしまったと思って、恨みがましく思うのである。

ところ天つきの向こう側から、均一に揃えられたところ天が溢れるように飛び出てくるのを見ながら慎重に最後まで押し出して終わり、である。
こうして文章に書くと、ちょっとした手間にも見えるが、この押し出すところまでがビッグイベントで、その後食べることにはとんと興味がなかった。父は酢醤油に七味や青のりをかけて食べていたが、子どもの私にはおいしさがわからず、あくまで作る(押し出す)専門で、食べるのは大人の器から一口わけてもらっておしまいだった。
寒天はそもそもがたわいない食べ物だ。寒天それ自体が素晴らしく美味しい、というのでもなし、子どものおやつにもおかずにもなりきれない。買ってきたって大した金額ではないし、家で作りたてだから美味しい、という類のものでもない。
こう書くと寒天メーカーの方に怒られそうだけれど、だからこそ昭和のノスタルジーがあそこに詰まっていた気がする。
今我が家にはところ天つきがないので、たまに思い出すとスーパーでパック入りのところ天を買うのだが、やはり酢醤油に七味と青のりをかけて食べる。やっぱりたわいない味だけれど、思い出補正がかかっているせいか、なんだか一夏に一度は食べたくなる。
子どもがまだ喜んでくれるうちに、一度ところ天を作らないとな、と思う。
それにしても寒天の原料になる天草は海で取れるものなのが、なぜ寒天は長野の名産なんだろう?どなたかご存じでしたら教えてください。