どうぞお好きな塩梅で

2025.07.15

何かと言えば梅が好きだ。
食材として梅仕事を楽しませてくれるのはもちろんのこと、花としての梅もまた美しい。
梅といえば紀州南高梅が有名だけれど、実は地元の群馬県で梅はとてもポピュラーな木で、2月頃になると、梅林にちょっとドライブして梅見にでも行こうか、というくらいだった。

梅は1月終わり頃から咲くものもあり、春を告げる、というより冬にももうすぐ終わりが来ることを一足早く知らせてくれるといった印象がある。小学校の帰り道、凍えながら足早に歩いていると、どんより曇った灰色の空と、木も野菜も枯れきって緑の少ない景色の中にほんのり赤みがかった箇所がぽつぽつとあって、何かな?と覗くと梅の花がひっそり咲いている。

梅

対照的なのが桜で、これは誰がなんといっても華やかなものだ。3月になればテレビでは今年の開花予想だの、目黒川や上野公園の花見客だのを取り上げてソワソワしている。桜は植えてあるのも公園や学校、川沿いといったイメージだが、梅はただそこここの家の庭木として、気軽にそこら辺に植えられていた。香りも控えめで、その庶民的な気取らなさもまた、好感がもてる

5月も後半になるとスーパーには梅酒用のびんや氷砂糖やホワイトリカーが並び始める。それを見ると今年は何にしようかなと思う。梅シロップは外せないし、煮梅もいいし、去年見つけた紅茶で煮るレシピも美味しそうだった、今年はちょっといい焼酎で梅酒でもまた仕込んでみようかな・・・などと考えているとウキウキしてくる。

地元に梅干しを漬けるのがとても上手な知り合いがいた。
年上の主婦の方で、ご主人が定年退職してから、ご夫婦で趣味の畑いじりをしているが、そこに梅の木があって、毎年季節になると梅干しを送ってくれる。鰹やらはちみつやらは一切入っていない、梅、塩、赤じそだけの昔ながらの塩のきいた梅干しだ。日本栄養なんとか協会の人が見たら卒倒する塩分量なんだろうけど、その奥様の梅干しはしっとり柔らかく絶品で、私は10年以上にわたり毎年届くその梅干しに期待して、梅仕事の中で梅干しだけはなんとなくサボっていた。

その方が数年前に突然「今年で梅仕事は手仕舞いしたの」と言う。梅の木が病気になったのかと思ったが、そうではないという。
「お耳汚しになるけれど・・・」という奥様の話によると、梅の木は何本かあるそうで、自分で処理しきれない分はご近所や知り合いに生梅のままお裾分けしてきたのだそうだ。近いところへはその奥様が直接持っていくが、少し離れたところは免許のあるご主人の担当だったらしい。そのお届け先のどこかで、どうもご主人とどこかのご夫人が仲良くなっている風だ。はっきりとした証拠はないけれど、自分が見る限り絶対に黒だ、と言う。お相手の方も顔見知りと呼ぶよりももっと近い相手なのだ、と。
私よりも二回りほども人生の先輩に対して、軽々しく慰めの言葉をかけることもできず、口は悪いが気のいいにこやかなご主人の顔を思い出していると「それでね、梅の木は全部切っちゃったの」と軽やかに続けられた。
二人を問い質しても、言い逃れるに決まっているし、すんなり認めたところで、もっと自分が傷つくのは目に見えている。何十年か連れ添った夫婦なのだ。くれてやるのが惜しいほどの亭主じゃないけれど、70も近くなって今更一人で生きていくことは考えられない。それで全て自分の腹に収めて、その代わりに梅の木を切ってしまったのだという。

この話を聞いて、私は女の業というものにしんとする思いがした。生木の梅の木なんてそう簡単に切れるものではないから、もちろん専門の庭師か業者に頼んだのだろう。けれど、私の頭の中では、あの初老の奥様が小柄な体で大ぶりの斧を持って梅の木を横殴りに叩きつけている様子が目に浮かんでしまう。
苛立ちも悔しさも寂しさも全てをその梅に叩きつけて、根こそぎ取っ払って、それで何事もなかったように、全て手仕舞いした奥様の心は私なんぞには計りきれない。
ただ毎年のようにこの季節に並ぶ梅を見かけると、切られてしまったその遠い梅の木のイメージだけがひっそりと思い出される。

さて、そんなことを考えているととても梅仕事なんてする気にならないのでは、と思われそうだけど、そのあたりは持ち前のいい加減さの出番である。
スーパーや直売所に梅が並べば必ず見にいくし、青梅を買ってきて追熟する間、ざるに並べたところへ立っていっては梅の匂いをくんくんして「いい匂いだなぁ」なんて思っている。
去年からクローブやカルダモンなどのスパイスを入れた梅シロップにはまっているので、今年の梅仕事始めは梅シロップにしようかな

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