祖母ともやし

もやし

子どもの頃、といってもいつだったか。
たぶんあれは小学校の低学年くらいの頃だったと思う。
よく祖母ともやしのひげ根とりをした。

夕飯にもやしを使うメニューがあるときは、夕方、祖母と一緒にひげ根取りをする。居間の大きなテーブルに新聞を広げ、その真ん中にもやしの袋を丁寧に開いて広げる。右手には水をはったボールを置いて、一本ずつひげ根をむしっては、袋の左にちぎったもやしのひげ根を置き、もやしは右に置いたボールに入れていく。

もやし

祖母に認知症が進み始めていた頃で、料理を任せることができなくなってきた頃らしい。「らしい」というのは、私は幼すぎて、祖母がぼけているのかどうか当時はわからなかったからだ。手元のおぼつかない小学生と危うくなってきた祖母のコンビに任せるのに、ひげ根取りはちょうど良かったのだろう。

ひげ根取りの間も、祖母が自分から話した記憶はあまりなく、私が今日学校であったこととか、読んだ本がどうだったとか、そういう他愛ない話をするのを「うんうん、それで?」「ヘぇ〜かおちゃんは難しい本読んでいるんだねぇ」などとにこにこしながら聞いてくれる。

母に叱られて泣いていると、後からこっそりやってきて慰めてくれるのも祖母だったし、叱りすぎている母を宥めてくれるのもまた祖母だった。

ちょうど1年生の時にTVでちびまる子ちゃんが放送され始めたのだが「まるちゃんのおばあちゃんて、うちのおばあちゃんとすごく似ている」とびっくりした。まさにあのまるちゃんのおばあちゃん、なうちのおばあちゃんである。

もやし

小学生2人に大人3人の家族だから、もやしといってもせいぜい一袋か二袋。二人でやれば大して時間はかからないものを、ポツポツと話しながらのんびり取っていくその時間がゆったりとして私は大好きだった。

綺麗にひげ根を取り終えたもやしは、ボウルの中でちゃぷちゃぷ気持ちよさそうに揃って浮いていて、「さぁ準備は整ったよ」と言っているようだった。
私が好きだったのは、暑い時期に熱湯でさっと茹でてざる上げしただけのもやしに、レモンをきゅっと絞り、醤油をかける食べ方だ。

半分に切ったレモンを片手に「かおちゃんはレモン多め?少なめ?」と祖母が聞く。取り皿には白地に青く細い線が引かれた波佐見焼きが使われた。
皿に取り分けられたもやしはまだ湯気が立っていて、レモンと醤油の香りでもりもりともやしを食べるのが、気取りのない、あっさりした我が家の味だ。

私が中学生になる頃、祖母はもうひげ根取りはできなくなっていて、祖母より15センチは背丈の大きい私に「かおちゃんは今小学校何年生なんだっけ?」と聞いてくるようになっていた。祖母とひげ根とりをした時間は実質、低学年の間のほんの1、2年だったのだけれど、当時の障子越しに差し込む夕方の薄暗いオレンジ色の光の加減や、畳一畳ほどもある真っ黒で大きな天板を今でもはっきりと思い出す。

最近、友人達に「もやしのひげ根をとる」というとびっくりされた。
フルタイムで仕事をしているのに、もやし一つにそんな時間は割けないからだ。ひげ根を取ったところで、口当たりがよくなるだけで味に大差はないし、タイパもコスパも悪い。子どもたちは塾に習い事にと忙しく、悠長にひげ根を取るなんて時間は誰にもない。

そんなことは百も承知だけれど、私はいまだにひげ根を取る。
ひげ根取りは祖母に繋がり、あの小学生の夕暮れ時にいっとき過ごした緩やかな時間を思い出させる。そしてひげ根を取ったあとのもやし達はすっきり整ってボウルの中に浮いていて、「さぁ今夜は何に使うの?」と話しかけてくる。

それで私はいまだにひげ根を取っている。

この記事は役に立ちましたか?
もし参考になりましたら、下記のボタンで教えてください。

関連記事

RETURN TOP