「おいしかったです」が聞かせてくれるもの

仕事柄、自炊がほとんどなのだけど、たまの外食はやはり楽しい。
昨日は諸事情があって夕飯が作れず、家の目の前にあるカジュアルイタリアンに行った。
ここは1年ほど前に開店したばかり。駅からは徒歩5分。隣に郵便局が一つあるきり、周囲はマンションばかりで他に店もなく「こんなところになぜ飲食店が?」と思わせる。4人がけと2人がけのテーブルがそれぞれ2つと、3人でいっぱいになるカウンターだけのこぢんまりとしたお店だけれど、いつ行っても満席に近く賑わっている。
営業は週5日のランチとディナーで、私より少し若いであろう30代中〜後半の働き盛りのご夫婦が2人で切り盛りしている。
無口なご主人は、コンパクトなキッチンで休みなく立ち働く。動きに迷いがなく的確で、いかにも手慣れた無駄のない美しい手捌きだ。フライパンのパスタソースにすっと塩を加え、寸胴鍋のパスタの茹で加減を一本ぴっと取って確認し、おもむろに振り返って後ろにあるオーブンのピザの焼き具合を確かめる。食材を見つめる真剣な眼差しが料理への期待値を高めてくれる。
料理が出来上がるとアツアツの状態で間髪入れずに奥様がテーブルに運ぶ。その間も二人のやり取りに言葉は一切挟まれない。
「ペルファヴォーレ!」
「ボナペティート!」はもとより
「何番さんのマルゲリータ」
「ガリトー(ガーリックトースト)上がり!」など。
普通のキッチンから聞こえてきそうな声はこの店ではまず聞かれない。ご主人が無言でカウンターにスッと料理をのせると、奥様は当然のようにすぐに気づいて、必要人数分の小皿やカトラリーを手に取り、迷いなく注文のあった席へ「お待たせしましたー!!」とにこにこと運ぶ。
その笑顔がまた営業くささが一ミリもなく、心から「ほうら、おいしいのができたから持ってきましたよ。召し上がれ!」と言わんばかりなので、思わず持ってきてくれた皿を覗き込みたくなって首を伸ばしてしまう。
そうやって運ばれた料理が、おいしくないわけがないでしょう、もう。
外食するとき、子どもたちに小さい頃から言い聞かせていることの一つが
「おいしいと思ったら、お店の人に「おいしかったです」と伝える」
ということ。
おいしい、と言われて嫌な気持ちになる人はいないんだよ、とも。
それは店主が目の前にいるラーメン屋でも、キッチンが奥にあって作った人が見えないレストランでも変わらず、帰りがけに近くのお店の方に伝えるよう言い聞かせてあった。
ずいぶん小さいうちからそう話してきたので、思春期真っ盛りになった今でも、子ども達はおいしいと思った時、必ず
「おいしかったです!ごちそうさまでした!」
とお店の人に声をかける。
でも周りをよくよく見ると、帰りがけ「ごちそうさま」という人は多くあっても「おいしかった」と言う人は、ほとんどいないようだ。
そのせいか、お店によっては
「ありがとうね!」
「また来てね」
「ほんと?おっちゃん頑張った甲斐があるわぁ。またいつでもおいで!」
と、声を返してくれることも珍しくない。
時間にすれば5秒かそこらの、ほんのささいなやり取りだけれど、こちらが心から「おいしい」と思っていることが伝われば嬉しく、お店の人がにこっと笑顔を返してくれたら、もうそれだけで、さらにこちらまで温かい気持ちになれるのだ。
外食ならではの楽しみの一つは、そんなささやかなやり取りにも隠されていると思う。
昨日も帰りがけ、娘は
「おいしかったー!!ごちそうさまでした!」と他のお客さんが振り返るくらいよく通る声で言った。
奥まったキッチンからご主人がすっと出てきて
「いつもありがとうございます。またお待ちしていますね」
とはにかみながら、中学生に話すには丁重すぎるほど丁重に、でもちょっと注意しないと聞き取れないくらいの声で返す。
この店でご主人の話す声を聞けるのは、後にも先にもこれ一回きりだ。
そんなところもこの店の魅力。